著者
Kamezaki Masaru
出版者
茨城大学
雑誌
五浦論叢 : 茨城大学五浦美術文化研究所紀要
巻号頁・発行日
vol.12, pp.A39-A53, 2005-11-30

より洗練された優美な国際様式を好むロレンツォ・ギベルティがフィレンツェ洗礼堂に制作した第三門扉、即ち「天国の扉」の浮彫りパネルに認められる言わば絵画主義(pittorismo)への傾向は、その著書『I Commentari』に於いて、シモーネ・マルティーニにも優る評価をアンブロージォ・ロレンツェッティに与えていることからも理解される。実際に、「天国の扉」には、アンブロージォの絵画から想を得たと思われるモテイ-フが随所に見出される。殊にシエナのパラッツォ・プッブリコのサーラ・デッラ・パーチェの≪善政≫でかくもあやしくリリシズムを湛えて踊る娘達(fanciulle danzanti)は、「天国の扉」のうちの≪ノアの物語≫、≪ダヴィデの物語≫、≪モーセの物語≫、≪ヨシュアの物語≫、≪カインとアベルの物語≫を表す各浮彫りパネルの中に様々な形をとって現れる。ギベルティによるアンブロージォ・ロレンツェッティに対する"nobilissimo componitore(かくも高貴な構成家)"という呼び名は、場面が恰も目の前で次々と継起するように、絵画空間に"闊達にして豊かな(copiosa)"物語を説明し且つ記述するための画家のcapacita narativa(説話能力)を表す呼び名に他ならない。しかしながら、アンブロージォの絵画とは、絵筆のリリカルで詩的用法による記述であったに相違ない。そして、そこでの絵画空間とは、造形的な対象を内に収めた三次元的な穿たれた空間(spazio scavato)、即ち、ジョットやピエトロ・ロレンツェッティに固有の"inquadratura prospettica(遠近法的枠組み)"ではなく、閉じられた壁として定義される装飾的平面を強調するためのものであった。そして、このようなアンブロージォの絵画の特質こそは、ギベルティを魅了し、その"teorica d'arte(芸術理論)"を満足させていたと考えられる。つまり、彼ギベルティの芸術理論は、単にdisegnoのためのものではなく、諸表面の装飾的且つ構成的な(compositivo)効果、即ち彼を魅了していたアンブロージォの作品に見られる色彩の諸層、または色彩面からなるtessuto(織物)のような効果をも志向していたに違いない。そして、国際ゴシックへと向かう自身の趣味ゆえに、ギベルティが、諸場面や色彩の知的構成のためのイデアの点でシモーネ・マルティーニよりも優れていたともいえるアンブロージォ・ロレンツェッティを、トレチェント芸術に於ける彼自らの先駆者と考えていたとしても何の不思議もないのである。
著者
Kai Noriyuki
出版者
茨城大学
雑誌
五浦論叢 : 茨城大学五浦美術文化研究所紀要
巻号頁・発行日
vol.12, pp.A23-A28, 2005-11-30

フィレンツェ近郊スカンディッチのサン・ジュスト・ア・シニャーノ聖堂身廊右壁に現存する板絵≪磔刑のキリストとマグダラのマリア≫(図1)は、サンティ・ディ・ティート(1536-1603年)作聖トマス・アクイナス礼拝堂祭壇画(図2)に登場する磔刑像を原型とし、その後の画家のさまざまな磔刑図(図3,4)とも類似している。但し両肩や両腕に比して小さなキリストの頭部などには、助手の不十分な技量が見てとれる。ここでは本作を画家の工房作とみなし、図版を初公表する。作品の来歴は不明だが、マグダラのマリアがそうであったように、回心した「罪の女」たちの収容施設等の出自を推測することができる。